特別保存刀剣鑑定書(令和6年2月21日)付
¥650,000(税込)
金着二重鎺、白鞘付
東京都教育委員会登録証(令和4年4月12日)付
◎時代・国
桃山期(約400年前)、相模。
◎法量
刃長48.3㎝(1尺5寸9分半) 反り1.2㎝(4分)
元幅3.19㎝(1寸5厘) 元重0.73㎝(2分4厘)
茎長13.3㎝(4寸3分9厘)
◎形状
平造、庵棟、身幅広く、重ね厚く、寸延びて反り強くつき、健全で豪壮なる体配である。
◎鍛
小板目に小杢目交じってよく約み、やや肌立って、地沸よくつき、地景頻りに入る。
◎刃文
小互の目に丁子交じり、頭の丸い互の目、尖り刃等交じって飛焼が盛んに入り、同様の棟焼も焼き、皆焼となり、匂口やや締まって、金筋・砂流し入り、足・葉も入ってよく働き、賑やかである。
◎帽子
直ぐで入り、先掃き掛けて、小丸に深く返り、棟焼へとつながる。
◎茎
生ぶ、たなご腹風に先細って剣形、鑢目浅い勝手下がり、目釘孔1。
◎説明
初代相州綱広は、初銘を正広、後に小田原の北条氏綱に召出され、一字を賜って綱広と改銘し、これより代々大正期まで続いており、本作は三代目の綱広と思われる。
三代相州綱広は、鎌倉扇ヶ谷に住し、のち津軽藩主の招きによってその地へ移り、大小三百刀を打って慶長十一年に業を終って帰国した。寛永十五年二月二十七日、九十一歳で没する迄、多くの作品を遺して長寿を全うした優工である。
本作は身幅広く、重ねの厚い健全かつ豪壮な体配で、地景がよく入った地鉄に、小互の目・丁子刃を主体とした皆焼を賑やかに焼いて出来が良く、金筋・砂流し・足・葉がよく働いた優刀である。
また同じ東海道の名工村正を想起させるような、たなご腹風の茎仕立ても好ましく、味わい深い相州綱広である。